感覚派

賛否両論

【11/8】e-スポーツはスポーツなのか、を考える

 先日の朝日新聞に、e-スポーツはスポーツか否か、という議論が掲載されていた。

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e-スポーツ(electronic sports):格闘系やサッカー野球などをゲーム🎮で競うスポーツだ。

「ゲーム=悪い」この概念はもう古い。e-スポーツの市場規模は今後5年で3,000億円を超すという試算もある。

いま最も成長している産業の一つだが、これをオリンピック競技にしようという動きが目立ち始め、議論を呼んでいる

大反対

 

はっきりと、私はこれに反対する。

ゲーム産業としては、好きに盛り上がってくれればいい。だが、スポーツと呼ぶことには大反対だ。

 

集中力や、体力を使うのだから、スポーツと一緒ではないか!という意見をよく目にするが、

 

じゃあ、営業職もスポーツなのか?

スポーツの定義

私は、スポーツを芸術だと考えている。

自分の求めるプレースタイルに必要な身体を創り、表現して競わせる。

バットを振る。弓を引く。走る。全ては1mm単位の身体の動きによって結果が生み出される。

さらに、スポーツならではなのは、どんな競技もデジタル回路は存在せず、身体の微妙な動きによって結果はまるで違うものになる。極めてアナログなアート

 

だから、

デジタル回路を介して作り出されるバーチャルの世界を、どうしてもスポーツとして受け入れられない

そこに観客が集まり、ファンが集まっても、

それはスポーツ産業としての盛り上がりではなく、ゲーム産業の盛り上がりだ。

頭を使うとか、体力勝負とか、そんなことは、全てにおいて必要なこと。仕事でもスポーツでも、両方必要。その次元の議論は話にならない。

 

オリンピック競技にする?スポーツをバカにするな

 

と、正直にこう思う。

 

オリンピックは、人間の限界を競う場であって、デジタル世界を表現する場ではない。

スポーツは人の手によってしか生み出せない結果の勝負である 

ということはどうしても譲れない点。

変化の時代とはいえ、新しいものを受け入れることが必ずしも良いとは思わない

 

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【11/4】走る理由

「何で走ってるの?」

 

走っている人は聞かれるでしょう。よーく聞かれます。

 

大概みんな、苦しい・辛いだけというイメージを持っているようです。

 

とはいえ、苦しくない?辛くない?かと言ったら嘘になる。当然きつい。言ってしまえば、9割キツイ1割楽しい。くらいのレベル。

それでも走るのはなぜ。

結論から言うと、ズバリ私が走る理由は、

「戦闘モードの維持」

です。

人と争うのが苦手だった

ずっとスポーツはやってきました。それこそレギュラー争いみたいなことをずっとやってきたんです。しかし、そういうのがとにかく苦手だった。男兄弟に囲まれてたとかもないし、特段苦しんだ経験などもなかったし。

だから、人と争って「何が何でも俺が勝つんだ」という気迫のようなものは微塵もありませんでした。

負けたくない精神の原点

しかし高校時代、部活以外の暇な時間にも体を動かしたくなり、走り始めました。そこから半年くらいして、初めてレースに出場して以来、ハマりました。思いの外順位が高かったんです。

様々な運動をしてきた中で、初めてそれなりに戦えると感じた瞬間でした。

走ることでは負けたくないと思うようになり、それが派生して、多くの場面で負けたくない精神を持つようになりました。(笑)

確実に、色んなことに良い影響を与えてます

走ることが唯一のやる気スイッチ

 気持ちだけでどうにでもなるわけではないですが、やはり言霊の力を感じるようになりました。口に出さなくても、根底に「負けたくない」精神があると、結果は全く変わります。

もう一つ言えるのは、勝ちたいと思えない時は、思考が止まってます。

走る→勝ちたい→走る→早くなりたい

という良いスパイラル。

走ることがやる気スイッチなわけです。

勝ちたい!

という戦闘モードを維持するためには、走り続けるしかない

これが走る理由です。

 

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