感覚派

賛否両論

#13 【最終章】立教新座校長が記した、「大学に行くとはどういうことか」

もうこれ以上大学について書くことはないが、最後に立教新座高校の卒業式で語られたスピーチを紹介して、この13回にわたるブログを締めくくろうと思う。

 

全文を引用させていただきたいと思う。


「大学に行くとはどういうことか」 

 

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。

 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 

 一言付言する。

 

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

 

立教新座中学・高等学校

 

校長 渡辺憲司

 

 

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#12 【就活戦記②】〜ベンチャーへの違和感から就活の結末まで〜

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◾️目次

 

これから就活する学生に聞いてほしい。


ベンチャーの決まり文句「成長」のワナ 

親友との再会で就活を始めてみたワケだが、次第に違和感を抱くようになった。

ベンチャーが数多く集まるイベントは多数あって、そこで言われるのは「1年目から新規事業の立ち上げに関われる」「新人でも圧倒的に成長できる」。

最初はこうした熱いワードに惹かれていたが、よくよく考えてみてほしい。

ベンチャーの言う、新規事業は果たしてどれほど大きなものだろう。

リーダー的立場で事業立ち上げに携われたとしても、社会からみたら微々たるものかもしれない。一方で、下っ端かもしれなけれど、大企業で携わったプロジェクトは、社会にとって大きな影響力を持つものかもしれない。

さらに注意したいのは、年齢層。

大企業に比べ、ベンチャーは"多様な"人材が集まるように見える。多くが2,30代で構成され、熱量のある組織だろう。だけど、おじさんおばさんのいない組織って、どうなの。

と、思う。おっさんが嫌われる時代だが、一方で圧倒的経験値を持つ4,50代も当然いる。

なんの考えもなしに、「成長」にとらわれてベンチャー志向になるのは危険だ。大企業という選択肢を捨てる前に、1度立ち止まって考えてほしいところだ。

 

僕は、やっぱり小さなベンチャーで1年目から新規事業に携わったところで、「成長したな」という幻覚に陥るのではないかと思った。そして何よりも、自分はメディア企業で働きたいという大前提を思い出した。 


記者になる 

ある合同説明会で、共同通信社の記者さんが登壇していた。いわゆるマスコミの一つで、メディア志望の僕にとっては興味深い企業の一つ。

そのトークの中で、僕は記者という仕事に強く惹かれた。編集者と違い、テーマを持って毎日異なる現場で多様な人たちに名刺1枚で会いに行ける。そんな仕事に魅力を感じた。

もっと話を聞いてみたいと思い、すぐにTwitterで記者として働く人に、「話を聞かせてほしい」とDMを送った。すると快諾してくれ、1対1でお話をする機会をいただいた。

現役の方に話を聞くのは本当に新鮮で、記者になりたい欲は、いっそう強くなった。


インターン移籍 

一方で、インターン先でやっている編集者の仕事にもかなり惹かれていた。

編集者か記者か。(ちなみに、0から1を拾い上げる足し算の仕事が記者、そこから必要な部分を吸い出す引き算の仕事が編集者。というのざっくりとした僕の解釈です)

 

でも百聞は一見にしかず。幸運にも、同じ会社内には、Business Insider Japanというニュースメディアが存在し、幾人かの記者が在籍していた。僕はインターンながら、無理を言って、異動させてもらうことにした。それが5年生の6月。内定が出始める時期で、ちなみに僕の親友は2月には内定を獲得していた。

 

Business Insider Japanには学生インターンも多数いて、刺激が多かった。取り扱うのは社会問題。取材に同行させてもらったり記事の編集に携わったりする中で、大手メディアの記者になることを決意し、本格的にエントリーを始めた。

 

有名経済誌の記者、新聞社の記者、ネットメディアの記者など、最終的には7社を受けた。

エントリーの段階で落選したり、面接までたどり着いて落ちたり、どんどん持ち駒はなくなっていく。意地になっていた僕は、周りの声も聞かず、記者職一本で勝負した。

しかし、本当に残り1社という崖っぷちの状況に陥り、もはや「どうにでもなれ」の精神で闘った。だけど思いのほか選考は順調に進み、今でも奇跡のように感じるが、この崖っぷちで残った1社から内定をもらうことができた。

 

採用通知の電話を聞いた時には、ものすごい勢いでガッツポーズした。「受かったぞおおおお」といろんな人にラインした。

 

そんな訳で、念願の記者職を勝ち取ることができ、そして9月には、中央大の卒業が確定した。

タイのインターンから日本のメディアインターン、そして親友との再会で就活開始、記者を目指し奮闘、崖っぷちで内定、そして大学卒業。

こんな奮闘劇を送った。

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#11 【就活戦記①】就活を始めるきっかけ

さて、4月から4年生として大学に復学。周りは就活に明け暮れ、僕は他人事のように落ちた受かったの報告を聞いた。休学していた分、5年生で卒業する自分は、「さーてこの1年は何をしようか」と考えていた。

インターン終わりに決心した通り、ネットメディアで働けないかと求人を探し、面接を通して採用をしてもらったのが、ライフハッカー[日本版]というメディアだった。少なくとも2,30代のビジネスマンには知名度があり、僕は当然ながら知っていた。インターン中には、ほぼ毎日チェックしていたこともあって、そこで働けることに興奮した。

仕事については長くなるので割愛するが、規模の大きなメディアが、0から記事案をどのように考え、公開し、フィードバックをするのか、という一連の流れを知ることができた。編集者としての基本のきを学ばせてもらった。 


貢献、している?  

 

タイでのメディアは、決して知名度のあるのもではないため、自分が頑張れば短期間でもメディアをいい方向へ改善して行ける。

だが知名度のあって強い基盤のあるメディアでは、自分がやっていることがどれほどいい方向へ貢献できているのか、分からない。

そのもどかしさはなかなか消えず、ここでもまた、残業をして量をこなすことをしていた。当然学校に行きながらインターンとして働いていたのだが、勉強そっちのけで、授業中に仕事を進めたりするほど、そこで働くことにハマっていた。


「他も見た方が良いぞ…」  

 

春夏秋と、ひたすら量をこなすように働いている中で、そのまま就職する道を考えていた。インターン上がりで就職する選択肢は実際あり、「就活しなくて良いや」と思っていた。

だが4年生の11月頃だったと思うが、小学生の頃から知っている友人にばったり遭遇した。中学時代の親友ということもあり、さっそく後日飲みに行った。

先にも言ったように、就活する気のない僕に対して、その彼はガツガツ就活を進めていた。

「おいおい、少しは他も見た方が良いぞ」と言われ、

「一緒にイベント行ってみない?」と、就活イベントに誘われた。

乗り気ではなかったが、いざ参加してみると、ベンチャー企業が集まり、学生によるグループワークやディスカッションなどが行われていて、結構活気があった。

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#10 大学生を辞めて見えた世界

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◼️目次

休学の半年は「とにかく海外に行く」ことを詰め込んだ。

 

9月 シンガポールでビジネス研修プログラム参加

11月〜2月 バンコクインターン

3月 ヨーロッパ旅行

こんな半年を過ごした。

 

結論から、僕は半年で何を得たのか。

それは、自分の死ぬ気を知ることができたこと。それとわずかな行動力が身についたこと。

「死ぬ気でやる」経験が、もっとも大きな収穫でした。

「死ぬ気でやる」というのは今の時代にはそぐわない言葉です。禁句かもしれません。でも、今の時代にそぐわないけど、それがもたらしたことは計り知れません。

 

そういう大切な経験ができた、タイでの生活を書いていこうと思います。

 


タイ生活スタート 

 

3年生の10月31日、タイのバンコクに飛んだ。不安だらけで、機内食もほとんどのどを通らなかったのを覚えています。

「これから4ヶ月か…。」自分で決めたこととはいえ、4ヶ月間を海外で、しかも一人暮らしで、しかも仕事をして過ごすとは、期待0不安100だった。

 

バンコクについて送り込まれた家は、最悪だった。どデカイ部屋にベッドがドーン。布はボロボロ。床はゴミだらけ。部屋の一角にはなぜか砂が溜まっている。洗面所には、得体の知れない濁った水の入った容器が置かれている。外はバイクや車の音が鳴り止まず、窓を1mmでも開ければ排気ガスの匂いでいっぱいになる。そして何よりダメージを受けたのは、冷水シャワー。

お湯が出ない。寒い。リラックスタイムのはずのシャワーは、地獄だった。

しかも一度使うだけで、排気口が詰まる。シャワールーム(なんて呼べるようなものじゃないけど)の換気扇口から、日中にホコリなどが入ってきていたから。

 

もちろん、平日は朝から晩まで仕事。いろんな事を覚えなきゃいえないけど、3度の食事をどこでとるか、とか洗濯はどこでするのかとか、最初の1週間は余裕のない時間でした。

 

正直に言って、帰りたかった。毎日のように「後118日」「残り117日…」と、途方も無い日数に、メンタルが崩壊しそうだった。

 

ただ人間ていうのはすごいもので、2週間がたつ頃には、地獄のような冷水シャワーに慣れ始めていた。

しかし辛かったのは、仕事が本当につまらなかったこと。細々とした作業に追われ、「一体タイに何をしに来たんだろう」と、違和感を抱いていました。

 

3週間目を終えようとしていた時、そのつまらない仕事への姿勢が180度変わる出来事がありました。

インターン先の日本人上司に呼び出され、会議室に行くと、上司5人が座っている。

 

「3週間が終わるけど、仕事について、赤裸々に話そう」と社長。

 

僕は生意気にも、思っていたような仕事ではない事、単調な作業の繰り返しに戸惑っていることなどを打ち明けた。

そこから空気感は一変した。タイまできて、その消極的な姿勢はなんなのか、仕事が最初から面白いものなわけがない。約30分、僕の仕事への態度について、5人の男上司にかこまれ、散々っぱらにダメ出しを受けた。

あえて強い言葉で伝えてくれたのだといまでは思うが、その時は本当に涙を堪えるので精一杯だった。

「やる気は本当にあるのか」

それをひたすらに問われた帰り道、人生で初めて、大泣きした(笑)

 

今思い返すと笑ってしまう。通りすがりのタイ人にジロジロ見られた記憶が鮮明に残っている。それでも涙は止まらなかった。自分でも思っている以上にストレスがかかっていたのだろうと思う。それらが溢れたのかもしれない。

 

だけど、悲しいとか寂しい気持ちではないのが驚きで、泣きながら感じたこともないやる気がフツフツ、メラメラと湧いてきていたのを覚えている。

 

ひとしきり泣いた後は、よし、やるぞ。もうやるしかない。死ぬ気でやる、追い込むぞ、悔しい、あそこまで言われて今やらなかったらダメだ、やるしかない。そんな燃えた気持ちになっていた。

 

次の日、手始めに早く会社に行った。2人ほどしかいないオフィスは新鮮で、想像以上に集中できた。他のニュースサイトを読んでみたり、解析ツールで数字を見てみたり。オフィスでの朝活はなかなか捗った。

モチベーションは日に日に上がり、目覚ましをかけずとも、毎朝6時前に目覚めるという、間違いなく、自分史上最高の自分になっていた。

そしてもっとも最強だった時期は、

5:55起床

6:15英語勉強

7:00家を出る

7:20公園に到着&30分ランニング

8:00出社

9:00みんな集まり始業

12:15昼食

12:00仕事再開

18:00終業&居残りスタート

19:30退社

20:00デパートのフードコートで夕食

21:00帰宅

21:10筋トレ

21:30冷水シャワー

22:00数字の振り返り、資料作り

22:50就寝

 

なんという無敵スタイルだろう。2ヶ月以上、こんな生活を送っていた。

とにかく、質なんて度外視で、量を求めた。あと一息、もう一息、とひたすら仕事に時間を充てるようにしていた。そしてインターンも折り返しが見えた頃、このスタイルに拍車がかかる出来事が2つ起こった。

 


物理的限界を突破 

 

僕がやっていたニュースサイトの運営は、日本人上司1人、日本人インターンが僕の他に1人、タイ人インターンが3人、タイ人社員が1人というメンバーで行われていた。

だが、日本人インターン生が、突然出社しないという事態が発生。休みがちになり、オフィスに来ても、やる気の出ない様子。さらに、タイ人のインターン生はYoutubeを見始め、社内Wifiをダウンさせて社長に怒られたり、お願いした仕事をやってくれなかったりと、仕事が進まない。

 

もう1つ困ったのは、ニュースサイトの責任者として仕事をしていた日本人社員が、ワケあって辞めることになってしまったのだ。突然の知らせに戸惑ったが、仕事を一通り引き受けることになった。同時に、記事投稿の最終チェックなど、責任のかかる立場で仕事をすることになってしまった。

 


「責任」が楽しさを生み出す 

 

そうした状況で、仕事は本当にキツくなった。以前とは異なり、残業せざるを得ない。もはや物理的にこなせる限界の仕事量を超えていたように思う。だがある時、仕事をこなしている時間が楽しくてしょうがない自分がいた。仕事量は多くても、なんだかんだ言ってこなせるようになり、「ああしたいこうしたい」という前向きなモチベーションに溢れた。辛さは消え、毎日仕事に行くのが楽しみになった。

「自分が適当にやれば、ニュースの質は簡単に落ちる」。でも逆に言えば

「自分次第でこのニュースサイトはいくらでも変えていける」。そうした”責任感”が、とてつもなく快感で、仕事のやる気の原動力でもあった。

 


しのごの言わずに没頭しろ 

 

インターンから話がそれるが、世の中に「つまらない」「面白くない」ことはほとんど存在しないと思う。面白くない理由は何か。それは没頭したことがないから。当たり前のことのように思えるが、実体験としてそれを経験できたことは本当に大きな収穫だった。

 

×楽しいから没頭できる

◯没頭したから楽しくなる

 

つまらなさや面白みのなさなどに耐えながらも、ひたすら時間を費やしてみて分かった、強固な面白さ。1日10何時間、毎日毎日バカみたいにやった先に感じる面白さは、段違いなものだ。

真新しいものに対して感じる、脆弱な面白さではない。

 

その証拠は、まさにこんなブログを書いていることや、メディア企業への就活などに裏付けられる。

 


いやでも孤独になる 

 

この4ヶ月を一言で表すならば「孤独」だ。知り合いも友達もいない。会社でも、なかなか簡単には心を開けず、苦戦する場面も多かった。同年代がほとんどおらず、ただでさえ外国人の多い組織での大人たちとの関わり方には、とても悩んだ。そして当然ながら、親しい人間とLINEでしか繋がれないことへの寂しさも確かにあった。

だからすることは、仕事。環境は本当に大切だ。やることがなくなれば、1つに没頭できる。自分は頑張っているのか、孤独のおかげで毎日そう自問自答していた。もちろん会社内でも社外でも、親しい関係になっていく人もいて、それはそれで楽しいこと。

だけど、なんでも話せる間柄の人間が周りにいないとは、なかなかハードな状況であった。

 


この仕事、もっとやりたい 

 

孤独さはありながらも、仕事は確かに面白いものだった。だが4ヶ月間のインターンを終了した時、仕事への達成感はそれほどなかった。それは決してネガティブなものではない。「同じような仕事をもっとやってみたい」という気持ちだ。

日本に帰ったら、もっと影響力のあるメディアで働いてみよう、とすぐに決めた。

 

そうして2月の終わりに帰国。そのあとは3月の1ヶ月間時間があったので、気楽に、初めてヨーロッパへ1人旅をして、休学を締めくくった。

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#9 大学休学を決意。インターンという選択肢を見つけるまで

大学生のうちからキャリアを作りたい。

大学3年生で休学を決心した時に、そう思った。

ホリエモンに感化されて落ちぶれた。でもやっぱり人と違う存在になりたい。

じゃあ一回大学生を辞める。

とにかく一度このぬるま湯から抜け出そうと思って、「学生でもない」「日本でもない」環境に身を置くことにした。

 

2年生の冬休みに、休学中の活動を模索した。まずは留学エージェンシー色々周った。オーストラリア...カナダ...アメリカ..。

.半年で200万...1年行ったら400万...

 

いやアホすぎる!

 

想像をはるかに超える金額で、留学などできないことが分かった。せいぜい英語力アップに数百万などアホすぎて、すぐに留学という選択肢は消した。

大学の交換留学にも頼れない。皮肉にも、大学の成績は悪く、留学制度を受けられなかったから。

 

こうなったら、働いてお金を稼ぎながら海外にいけないものか。

 

そこで、インターンシップを探してみた。

 

それも主要な留学先である欧米だったが、

インターン:無給

 有給のインターンはほとんどありません😇

 

ならばアジアはどうだ!

気乗りはしないものの「アジア」で行き場がないか検索してみると、タイガーモブという企業がヒット。

tigermov.com

覗くと、東南アジアの企業インターンを紹介するサイトでした。

※決して広告ではありません(笑)

しかも、住居交通費支給や、それなりの報酬が支払われるものもありました。

実際に話を聞いてみると、半年で費用10万とか4ヶ月で8万とか、先に書いた留学と比べても、願ってもない好条件のインターンがずらり。

 

その額に惹かれて、東南アジアでのインターンシップを探はじめました。

フィリピンやタイ、カンボジアインドネシアなど、ASEAN諸国のインターンが様々紹介されていて、お仕事も、不動産、スーパー、ホテル、メディア、営業など、「こんなに選択肢があるのか」と驚きました。

 

エージェントの人と2〜3ヶ月間話し合いを続け、僕が選んだのはタイ🇹🇭。ニュースサイトの運営や営業の仕事ができる日系企業でした。正直、仕事うんぬんよりも、とにかく自分を追い込みたいと思っていたので、半ば勢いで行き先を決定しました。

 

周囲からの反対や衝突など、何悶着もありましたが、ほとんど強引に押し切る形で、タイへ。

 

そんなこんなで、前期の試験を終え、部活を去り、バイトも辞めました。

 

ついに半年間の休学がスタート。「大学生のうちからキャリアを作る」ことはできたのか、次回はその休学の中身を紹介します。

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#8 ホリエモンという難敵

前々回のブログで、大学生は落ちぶれて当然、入学以来モヤモヤがあったと書きました。

sekairun-194.hatenablog.com


そのモヤモヤを、良くも悪くも払拭してくれたのが、ホリエモンの存在でした。

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#7 大学生の1日

 

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大中小の中教室

前回は、大学生なんて落ちぶれて当然だ、という文章を書いた。

だけど、そもそも大学生の1日はどんなものなのか。ほんの一例を紹介したい。 

◼️目次


ある一日(平日) 

8:00 起床

9:30 家を出る

10:30  学校到着

11:00  2限授業 適当に後ろの方に座る

11:30  PC開いたり、板書したり

11:50  だいぶ眠くなる

12:30  授業終了

12:45  部活のミーティングに行く&昼食

13:20  3限授業

14:50  授業終了

15:00  部活練習スタート

16:30  部活練習終わり

16:45  学校を出る

17:20  駅ナカでご飯食べる

18:00  地元のバイト先へ

22:00  バイト終わり 

22:10  帰宅

22:30  だらだら 

0:00 就寝 


ある一日(土曜日) 

7:30   起床

8:10   家を出る

9:10   学校到着

9:20   1,2限授業スタート いつも通り後ろの方の席に座る

10:50 1限終了

11:00  2限開始

12:30  2限終了

13:00  昼食

13:30  部活練習スタート

15:30  部活練習終わり

16:00  部室でダベリ

17:00  学校を出る

18:00  友達と焼肉

22:00  帰宅

 

これが、1,2年生の頃のスケジュールです。

が、あくまでも”ちゃんと”してる時の例です。 寝坊して授業間に合わないとか、めんどくさくて行かないとか、ひどい時は結構そんな感じで、授業に怠惰な時期がありました。

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大中小の大教室

土曜日は授業ありのパターンを書きましたが、それは授業の取り方次第。休日に授業なんて無理、という人は入れなければ良いだけ。ただ、語学など、必修の授業が土曜日にある場合もあるので、強制的に学校に行かなきゃいけない人もいます。

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大中小の小教室

多くの授業は、適当に席に座ります。後ろの方でぱリピ大学生が騒いでいる授業もあれば、大教室なのに20人くらいしかいない静かな授業もあります。高校のクラスくらい?の規模感の授業もあるし、先生1対生徒2ていう濃いめの授業も経験しました。

出席してれば単位が取れるもの、レポートを出さないと単位をもらえないもの、期末テスト一発で評価が決まるものなど、成績評価は教授次第。

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陸上競技

そして、僕の部活は体育会でしたが、割とゆるい方。野球とかサッカーとか、大学生活を部活に捧げるほどのレベルではなく、個人の予定に合わせて週のノルマをこなす感じでした。だから、バイト前にちょこっと練習するとか、早朝に行ってひとりで練習するとか、かなり融通のきく部活だったと思います。

もちろん日曜日の試合であったり、長期休みの合宿などはあります。でも他のことが回らなくなるような忙しさではないので、部活によってその厳しさ忙しさはマチマチでしょう。

 

なにをしようが勝手。唯一家族からの監視はあるかもしれないけど、遅刻しても欠席しても何も言われない。1週間授業を休んで旅行に行ってしまう学生もいます。時間を何に使うのか、全ては自分次第。

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#6 大学生は落ちぶれて当然

 

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「大学生になったら、楽しいことしかないよ。だから、今、頑張ろう」

高校三年生の受験期、幾人かの先生たちがそう言っていた。

 

だけど、実際のところどうだったか。僕の4年半の大学生活で楽しかった割合は、せいぜい40%程度だったと思う。

大学生(特に文系)は時間がありふれているし、お金も使える。友達や彼女と遊んだり、飲みに行ったり、確かに楽しい時間はあった。だけど、何かを頑張ることが皆無になっている状況には、ずーっとモヤモヤしていた。。


どこを目指せば良いの… 

入学して以来感じていたモヤモヤの最大の原因は、目指すゴールが消えたこと。

何て贅沢な悩みかと今になれば思うけど、大学生になるまでは、高校受験とか大学受験とか、当たり前のレールに敷かれた先にある目標に向かって過ごしていればよかった。 

大学生にとっての一般的なゴールは就職。ほとんどの学生にとって、卒業以上に、就職することが大きな目標となる。

だけど、まるで実感がわかない。勉強の点数以外のことで図られるゴールには、一切実感がわかなかった。働くことがイヤということではなく、一体自分はどこに向かっているのかわからなくて、ボーッと漂流している感じだった。

バイトも勉強も部活も遊びも、意味が感じられなくなくなるし、時間がたっぷりあるせいで、無駄に悩むことも増えた。中高のように、授業部活に追われる忙しい時期がなんと幸せだったかと思ったりもするようになった。 


大学生は落ちぶれて当然 

だから、そういう”自由”を手に入れて、しかも4年間という時間を前にして、大学生は落ちるものだと思う。入学後上昇し続けた人間は少なくとも周囲にはいない。遊び呆ける大学生がいるのは当然だし、授業に行かない勉強しないは当たり前。 

大学生は落ちぶれて当然だ。

 

ただ一つ言っておきたいのは、

落ちぶれる=不幸せ

ではないこと。遊び惚ける毎日は楽しいし幸せ。だけど、いつの日か、その惚け切った自分に気づく。 


自発的なエネルギーが必要 

この4年半の大学生活を終えた今思う結論は、

「自発的なエネルギーをいかに出して、いかに持続できるか」ということ。

誰に指示されることもなく、自ら何に没頭するのか、そして没頭するエネルギーとモチベーションをどう保っていくのか、大学で落ちぶれないためのキーワードは「自ら没頭」だ。

 

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#5 食料以外全て揃う、中央大生協

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経済誌、スポーツ雑誌、男性・女性ファッション誌、なんでもあります。

生協はどこの大学にもあると思いますが、中央台は多摩だけでも2万人を超える学部生が在籍しているため、生協の規模も大きいです。

 

基本的になんでも揃います。

 

食料品は流石に置いていませんが、文庫本・雑誌、パン、文房具、中大グッズ…。それに薬局もあればメガネも置いている。さらにはバイクが置いてある時すらあります。

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#4 心休まる精神安定の場。中央大の図書館と学部図書室

 

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中央図書館

前回は各学部を紹介しました。

今回は中大生の学びを支える多摩キャンパスの中央図書館をご紹介します。

さらに、学部ごとにも図書室が設置されています。その中でも、僕が通った経済学部図書室の内側をお見せします。

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