感覚派

賛否両論

大学生、思考停止するな!外に出ろ! 後編

昨日書いた

大学生、思考停止するな!外に出ろ! 前編 - ミッドフット思考

に引き続きます。

 

自分を変えた意識

 

「当事者意識」

この記事の中で一番伝えたいキーワード。

当事者意識は、長らく続いていた思考停止状態の自分を変えてくれた。仕事から離れても、朝から晩まで頼れる人はいない。仕事、生活のなかで、やることそれぞれに自分で進めていくという意識が確実に強くなり、同時に自主性が増した。いや、必然的に増したのだろう。

 

やっぱり辛い時間って必要なんだ

 

根性論精神論を語る時代ではないけれど、やっぱりこの経験から言いたいのは、苦しまないと分からないということ。意識だけでも変化したとはいえ、仕事の面白さ、そして結果に結び付き始めるまでの2ヶ月はかなり辛かった。普通に考えれば当たり前だが、意識だけ変えてもすぐには何も変わらない。それがきつくてきつくてきつかった。
だからとにかく辛抱した。

 

帰国してからは、それまで無駄にしてきたものに価値があったんだとも思うようになった。
それこそ大学の授業だ。正直、本当に無駄な講義はある。こんなんで授業やるな、と言いたいものも確かにある。だが、ネットで調べていては簡単に分からないことをポロッと教授が話したり、興味がなくても取らなきゃならない授業を取ってちゃんと聞いてみたら、「へえーそうなんだ」と思うような知識を知ることが案外多い。
情報ひとつ得るにしても、それが自分の生活にどう影響するのか、それで社会がどう変わるのか、そう思いながら生活出来るようになると、変わる
思考停止状態で分かることは何もない。
思考が動くようになれば、物事に意見を持つようになる。

 

外へ飛び出せ!

 

当事者意識を持て、と言いたいのではない。
この意識があると、1ミリでも変わる。だから一回外に出ろ、と言うのが今回伝えたいことだ。
外、と言うのは、今の生活サイクルからは遠い環境。もっと簡単に言えば、助けてくれる親しい人が身の回りにいないような環境。
ただ、海外はあくまでも選択肢の一つ。海外に行ったって、ガラリと変わることはない。5年10年生活すれば違うだろうけど。
でも、少しでも「この生活でいいのだろうか…」そう思っているなら
考えてもみなかったようなバイトを始めてみたり、1週間全ての講義を休んでみたり(オススメはしません!)、とにかく今のサイクルから外れてみてほしい


大学4年目に入った今思うことは、大学生は自由な身だからこそ
安住の場所を作らないでほしい。そう思う。

僕自身、安住しまくっていた。家とか、部活とか。全部居心地が良かった。でもそれが無くなった時、きつかったけど自分が本気で進みたいやりたい道が見えた。タイからの流れで始めたメディアでのバイト、このブログもそうだ。人に伝えることの面白さは、苦しくとも根性で耐えた先に見つけたこと。

 

ぬるま湯からの卒業

 

ちょっと自分を美化しすぎているのでこの辺で切り上げるが、
この経験は
僕が尊敬する本田圭佑選手の言葉に全て集約される。

 

『ライバルに差をつけたいのなら、環境を変えてほしい。なんだかんだ言っても一度ぬるま湯に浸かってしまうと、なかなか抜け出せない。だから、『何か物足りない』と思ったら、自分のことを知らない環境に飛び込んで行ってほしいと思う。』

 

なかなか抜け出せない。本当に抜け出せない。
特に大学生は、怠惰にしていても、何か制裁を下されるわけではない。まして日本の大学なんて、僕の怠惰レベルでも、容易に卒業できてしまう。
一度でいい。もし、物足りなさや危機感を少しでも感じるなら”外”に出てほしい

流れるままに過ごし、就活卒業へ向かっていたらと思うと恐ろしく思う。
無駄な時間はあっていいけど、2年も無駄にして欲しくない。

友達と群れ合ってないで、彼氏彼女に溺れてないで、
自分は思考停止してないか、ぬるま湯で落ち着いてしまってはいないか、自分自身に問うてみてほしいのです。