感覚派

賛否両論

【5/17】Newspicksから1Pick - スポーツメンタルについて

Newspicksから気になったニュースについて、自由に意見を書きます。

【最近Pickしたもの】

 

 【部活環境からメンタルを考える】

プロに対する意見は、単なるヤジになってしまうので、自分自身の部活の経験から特に小中校年代のメンタルについて考えてみたいと思います。

 

記事では、ヨーロッパ人とスポーツに対する捉え方が違うと書かれています。

「スポーツはゲームである」と。

日本人にその捉え方がないため、逆境に立たされたときに、積極性をかく。

自分自身が部活を経験してきた中で、問題と思うことは、スタイルを受け入れる環境がない、ということです。

 

打席というのは、大声を出しに行く場所じゃないんです。自分が心地良いように入り、実力を発揮しに行く場所です。この一文で分かっていただけたらありがたい。

 

運動部に居ると、声がよーく出て、盛り上がって、元気で、というのが正義のような雰囲気があります。元気のないやつは士気を落とす、とか。

ですが、持っている実力を発揮する。いつも以上のパフォーマンスを発揮する。ということを考えたときに、普段から自分のスタイル(モードとも言える)でプレーすることが重要であると感じます。

 

家でのモード、授業中のモード、会社でのモード、スポーツでのモード。これは千差万別、十人十色であるはずです。にもかかわらず、バカのように声を出し、盛り上がれる人間だと監督にアピールすることに何の意味があるのでしょうか。

 

僕の中学時代のことですが、部活自体は財産です。やってよかった。ただ、みんなが一様に、上に書いたような”元気な選手”であることをアピールするというのに対しては、違和感を抱いていました。

いつでもうるさくて、声の出る選手だったらこんなことは、考えもしないでしょう。

 

 

静かな雰囲気の中が、最も高いパフォーマンスを発揮できる。これは経験則として一番自分自身が理解しています。

真面目である、ことは正しいですが、その姿勢というのを多様に受け入れる環境があるかどうか。そういう環境がない時期は、部活をやりながら、プレー自体が窮屈に感じていたことがあります。

そう言いながらも、高校大学では運よく自由な環境でした。競技自体も変わっているので一概には言えませんが、スポーツをする上で、その人のスタイルを受け入れる環境ができて入れば、実戦の場でも、いつものスタイルでプレーできるのではないでしょうか。

メンタルが強いとは、その人が誰を気にすることなく、自分の雰囲気の中で堂々とプレーできることだと思っています。

 

記事のように、ゲーム的感覚が欠けているというより、人目を気にせずプレーできる環境にいないことが問題ではないでしょうか?

 

なんでもこちら

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