【6/14】どんな時代が来ても、言葉を学ぶことには意義がある。
AIって言葉、聞き飽きた。
けど、それで英語勉強しなくても良くなるね、なんていう意見が出始めたから、言葉の本質について考察した。
一時期、通訳とか、翻訳家になりたかった。
同時通訳を見たり、特に情熱大陸で通訳者の橋本美穂さんの回を見たときには、
「かっこいいぃ( ´θ`)」って憧れた。
でもやっぱり、確実に需要は減って行くだろし、なんたって英語ができるやつは死ぬほどいる。
だからと言って、他に勝負できる言葉も持ってない。
需要が減る = 一流の中の一流しか残らない
はず。
だったら、英語200%になるより、いくつかの言葉を70%の方が面白い。
と思って、言葉の勉強の方向性はだいぶ変わった。
まあそんな事はいいんです。
今言いたいのは、「AI時代は言葉勉強しなくても良いかもね」
っていう意見、本気で言ってる?という事です。
本来言葉は誰のためにあるのか。
考えてみてください。将来AI同士が日本語を使いながら会話する日が来ると思いますか。
いいえ。来ません。AIというのはあくまでも高性能な計算機に過ぎません。膨大な情報を交換するのに日本語やら英語やらを使うわけがありません。
言葉はまさに人間のためにあります。もっと正確にいえば、ある社会に属する人間のためにあります。
「かわいい」「もったいない」は海外では「kawaii」「mottainai」と訳されるように、
外国にもまた、その国特有の単語が存在します。(詳しくは以下の記事で。面白かったです。)
(TABI LABOより)
AIの同時通訳で世の中はよくなるかも知れない。でも、その国のことに興味を持ったり、知りたくなったら、やっぱりその国の母語で書かれたものに勝るものはありません。
だから、迷いなく語学を勉強しています。
特段文化に興味はありません。
ただ、いろんな国のニュースが読めるって、単純に面白くないですか?
余談ですが、アラビア語は今に至るまで、およそ文法などの変化がないそうです。
つまり、今使われているアラビア語が分かれば、100年前、1000年前の文章も読めるということ。
大抵の翻訳物は、やはり日本人に分かるように翻訳されてしまいます。分かるようにというか、日本人的な翻訳がされます。
でも原文が読めれば、内容で理解できないことがあっても、「そういう文化もあるのか」というマインドが作れる気がします。
言葉に無頓着はつまらない。
内輪だけで浸透しているワードとかありますよね。
それも一つの文化。だから言葉に興味を失うっていうのは、文化が消えて、もはや人間として価値がない。
まあそこまで大袈裟に考えなくても、気楽に言葉の勉強は続けていけば良いんじゃないかな、と思いました。