#10 大学生を辞めて見えた世界
◼️目次
休学の半年は「とにかく海外に行く」ことを詰め込んだ。
9月 シンガポールでビジネス研修プログラム参加
3月 ヨーロッパ旅行
こんな半年を過ごした。
結論から、僕は半年で何を得たのか。
それは、自分の死ぬ気を知ることができたこと。それとわずかな行動力が身についたこと。
「死ぬ気でやる」経験が、もっとも大きな収穫でした。
「死ぬ気でやる」というのは今の時代にはそぐわない言葉です。禁句かもしれません。でも、今の時代にそぐわないけど、それがもたらしたことは計り知れません。
そういう大切な経験ができた、タイでの生活を書いていこうと思います。
タイ生活スタート
3年生の10月31日、タイのバンコクに飛んだ。不安だらけで、機内食もほとんどのどを通らなかったのを覚えています。
「これから4ヶ月か…。」自分で決めたこととはいえ、4ヶ月間を海外で、しかも一人暮らしで、しかも仕事をして過ごすとは、期待0不安100だった。
バンコクについて送り込まれた家は、最悪だった。どデカイ部屋にベッドがドーン。布はボロボロ。床はゴミだらけ。部屋の一角にはなぜか砂が溜まっている。洗面所には、得体の知れない濁った水の入った容器が置かれている。外はバイクや車の音が鳴り止まず、窓を1mmでも開ければ排気ガスの匂いでいっぱいになる。そして何よりダメージを受けたのは、冷水シャワー。
お湯が出ない。寒い。リラックスタイムのはずのシャワーは、地獄だった。
しかも一度使うだけで、排気口が詰まる。シャワールーム(なんて呼べるようなものじゃないけど)の換気扇口から、日中にホコリなどが入ってきていたから。
もちろん、平日は朝から晩まで仕事。いろんな事を覚えなきゃいえないけど、3度の食事をどこでとるか、とか洗濯はどこでするのかとか、最初の1週間は余裕のない時間でした。
正直に言って、帰りたかった。毎日のように「後118日」「残り117日…」と、途方も無い日数に、メンタルが崩壊しそうだった。
ただ人間ていうのはすごいもので、2週間がたつ頃には、地獄のような冷水シャワーに慣れ始めていた。
しかし辛かったのは、仕事が本当につまらなかったこと。細々とした作業に追われ、「一体タイに何をしに来たんだろう」と、違和感を抱いていました。
3週間目を終えようとしていた時、そのつまらない仕事への姿勢が180度変わる出来事がありました。
インターン先の日本人上司に呼び出され、会議室に行くと、上司5人が座っている。
「3週間が終わるけど、仕事について、赤裸々に話そう」と社長。
僕は生意気にも、思っていたような仕事ではない事、単調な作業の繰り返しに戸惑っていることなどを打ち明けた。
そこから空気感は一変した。タイまできて、その消極的な姿勢はなんなのか、仕事が最初から面白いものなわけがない。約30分、僕の仕事への態度について、5人の男上司にかこまれ、散々っぱらにダメ出しを受けた。
あえて強い言葉で伝えてくれたのだといまでは思うが、その時は本当に涙を堪えるので精一杯だった。
「やる気は本当にあるのか」
それをひたすらに問われた帰り道、人生で初めて、大泣きした(笑)
今思い返すと笑ってしまう。通りすがりのタイ人にジロジロ見られた記憶が鮮明に残っている。それでも涙は止まらなかった。自分でも思っている以上にストレスがかかっていたのだろうと思う。それらが溢れたのかもしれない。
だけど、悲しいとか寂しい気持ちではないのが驚きで、泣きながら感じたこともないやる気がフツフツ、メラメラと湧いてきていたのを覚えている。
ひとしきり泣いた後は、よし、やるぞ。もうやるしかない。死ぬ気でやる、追い込むぞ、悔しい、あそこまで言われて今やらなかったらダメだ、やるしかない。そんな燃えた気持ちになっていた。
次の日、手始めに早く会社に行った。2人ほどしかいないオフィスは新鮮で、想像以上に集中できた。他のニュースサイトを読んでみたり、解析ツールで数字を見てみたり。オフィスでの朝活はなかなか捗った。
モチベーションは日に日に上がり、目覚ましをかけずとも、毎朝6時前に目覚めるという、間違いなく、自分史上最高の自分になっていた。
そしてもっとも最強だった時期は、
5:55起床
6:15英語勉強
7:00家を出る
7:20公園に到着&30分ランニング
8:00出社
9:00みんな集まり始業
12:15昼食
12:00仕事再開
18:00終業&居残りスタート
19:30退社
20:00デパートのフードコートで夕食
21:00帰宅
21:10筋トレ
21:30冷水シャワー
22:00数字の振り返り、資料作り
22:50就寝
なんという無敵スタイルだろう。2ヶ月以上、こんな生活を送っていた。
とにかく、質なんて度外視で、量を求めた。あと一息、もう一息、とひたすら仕事に時間を充てるようにしていた。そしてインターンも折り返しが見えた頃、このスタイルに拍車がかかる出来事が2つ起こった。
物理的限界を突破
僕がやっていたニュースサイトの運営は、日本人上司1人、日本人インターンが僕の他に1人、タイ人インターンが3人、タイ人社員が1人というメンバーで行われていた。
だが、日本人インターン生が、突然出社しないという事態が発生。休みがちになり、オフィスに来ても、やる気の出ない様子。さらに、タイ人のインターン生はYoutubeを見始め、社内Wifiをダウンさせて社長に怒られたり、お願いした仕事をやってくれなかったりと、仕事が進まない。
もう1つ困ったのは、ニュースサイトの責任者として仕事をしていた日本人社員が、ワケあって辞めることになってしまったのだ。突然の知らせに戸惑ったが、仕事を一通り引き受けることになった。同時に、記事投稿の最終チェックなど、責任のかかる立場で仕事をすることになってしまった。
「責任」が楽しさを生み出す
そうした状況で、仕事は本当にキツくなった。以前とは異なり、残業せざるを得ない。もはや物理的にこなせる限界の仕事量を超えていたように思う。だがある時、仕事をこなしている時間が楽しくてしょうがない自分がいた。仕事量は多くても、なんだかんだ言ってこなせるようになり、「ああしたいこうしたい」という前向きなモチベーションに溢れた。辛さは消え、毎日仕事に行くのが楽しみになった。
「自分が適当にやれば、ニュースの質は簡単に落ちる」。でも逆に言えば
「自分次第でこのニュースサイトはいくらでも変えていける」。そうした”責任感”が、とてつもなく快感で、仕事のやる気の原動力でもあった。
しのごの言わずに没頭しろ
インターンから話がそれるが、世の中に「つまらない」「面白くない」ことはほとんど存在しないと思う。面白くない理由は何か。それは没頭したことがないから。当たり前のことのように思えるが、実体験としてそれを経験できたことは本当に大きな収穫だった。
×楽しいから没頭できる
◯没頭したから楽しくなる
つまらなさや面白みのなさなどに耐えながらも、ひたすら時間を費やしてみて分かった、強固な面白さ。1日10何時間、毎日毎日バカみたいにやった先に感じる面白さは、段違いなものだ。
真新しいものに対して感じる、脆弱な面白さではない。
その証拠は、まさにこんなブログを書いていることや、メディア企業への就活などに裏付けられる。
いやでも孤独になる
この4ヶ月を一言で表すならば「孤独」だ。知り合いも友達もいない。会社でも、なかなか簡単には心を開けず、苦戦する場面も多かった。同年代がほとんどおらず、ただでさえ外国人の多い組織での大人たちとの関わり方には、とても悩んだ。そして当然ながら、親しい人間とLINEでしか繋がれないことへの寂しさも確かにあった。
だからすることは、仕事。環境は本当に大切だ。やることがなくなれば、1つに没頭できる。自分は頑張っているのか、孤独のおかげで毎日そう自問自答していた。もちろん会社内でも社外でも、親しい関係になっていく人もいて、それはそれで楽しいこと。
だけど、なんでも話せる間柄の人間が周りにいないとは、なかなかハードな状況であった。
この仕事、もっとやりたい
孤独さはありながらも、仕事は確かに面白いものだった。だが4ヶ月間のインターンを終了した時、仕事への達成感はそれほどなかった。それは決してネガティブなものではない。「同じような仕事をもっとやってみたい」という気持ちだ。
日本に帰ったら、もっと影響力のあるメディアで働いてみよう、とすぐに決めた。
そうして2月の終わりに帰国。そのあとは3月の1ヶ月間時間があったので、気楽に、初めてヨーロッパへ1人旅をして、休学を締めくくった。